「ショートコースに行かないか?」
前の打席で練習をしていたカラスが突然僕に聞いてきた。
暑い日だった。
9月の中旬を過ぎていたが、その年は残暑が厳しくその日もまるで真夏のような暑さだった。
その日、僕とカラスはゴルフ練習場にいた。
「ショートコース?」
僕はテークバックを途中でやめ前傾姿勢だけは崩さず顔を上げ前の打席のカラスの方を見上げた。
カラスは僕のほうは見ずに自分の打球の弾道を確かめるような視線を練習場の200ヤード看板に向け「そう、ショートコース」と答えた。
その日僕とカラスが行っていたゴルフ練習場「風の街ゴルフセンター」にはショートコースが併設されていた。
ボクはカラスの背中を眺めつつ「やめておくよ、ショートコースとは言え僕のような初心者が回ったらみんなの迷惑になるだろ」と答えた。
するとカラスは突然クルッと、まるでダンスをするように僕のほうを振り向き「大丈夫さ。この暑さだ。みんな日陰で練習してるさ。わざわざ炎天下のショートコースにまで出てきたりしないさ。さあ行こう」
僕はこうしてカラスになかば強引に引きずり出される形で初めてショートコースを回ることになった。
「ゴルフクラブは何を持っていけば良いんだい?」僕はカラスに尋ねた。
「そうだな、パターと9番アイアンそしてアプローチウェッジ。そしてフェアウェイウッドを1本」
カラスはまるビーフストロガノフのレシピを読み上げるような口調でそう答えた。
カラスはゴルフ上級者だ。
しかもかなりうまい。
僕のような初心者でもスイングを見れば、それはすぐわかった。
数年前「ふだんどのくらいで回るんだい?」と「影の街」にあるバーガーショップ「ボギーオン」で2人で食事をとった時に僕はカラスに尋ねたことがある。
その時カラスはにっこり微笑んだだけで何も答えなかった。
Ⅼサイズで頼んでしまったコカ・コーラの氷が解けていたことを覚えている。
その年も暑い夏だった。
それ以来僕はカラスにスコアの事は聞かないようにしている。
誰にでも答えたくないことの1つや2つはある。
僕だってそうだ。
ショートコースは確かに暑かった。
これではみんな出てこないとカラスが言うのもわかる。
さいわい僕は暑さには強い方だ。
カラスも自分から炎天下に出て行こうと言うくらいだから暑さは苦にならないのだろう。
「まず君は天然芝に慣れたほうがいいな。今日はスコアは二の次だ」
まるで悪戯っ子のように無邪気な微笑みを浮かべながらカラスは僕に言った。
「天然芝に慣れる?」
僕は彼が言っていることを最初は理解できなかった。
「そう天然芝になれる」
カラスは自分の口から出た言葉を確認するかのような口ぶりでもう一度そう答えた。
最初の1ホール回っただけで僕はカラスが言った言葉の意味を理解した。
初めてショートコースを回ったその日、僕は天然芝で1球もまともな球を打てなかった。
普段の練習でいかに人工芝の恩恵を受けていたのかその日思い知らされた。
「最初は誰だってそんなもんさ、俺だってそうだったよ」
練習の帰りに立ち寄った「雨の街」にあるバー「テキサスアプローチ」でカラスは僕を慰めるようにそう言った。
僕はバーの壁にかけてあったアンディー・ウォーホールの絵を、ぼんやり眺めつつ「ありがとう」とぼんやり答えた。
その日僕はショートコースでうまく打てなかった悔しさもあり少し飲み過ぎていたのかもしれない。
久しぶりにカラスに訊ねてみた。
「ふだんどのくらいで回るんだい?」
カラスは250ヤード先にあるグリーン上空を吹く風の流れを確認するような遠い目をして微笑んだだけだった。
その日も僕の問いには答えなかった。
僕はその日以来カラスにスコアの事は聞かなくなった。
誰にでも答えたくないことの1つや2つはある。
僕だってそうだ。
それではまた次の夜に。